【“ブラジル ドライオンツリー”について】
トミオフクダ農園は、ミナスジェライス州セラード地区パトスデミナス付近標高約1,100mで生産されており、ブラジルでも標高の高い場所に位置します。この地域はセラードの中でも特に雨季と乾季がはっきりとしており、最もコーヒー栽培に適した気候となっています。この恵まれた気候を利用し誕生したのが「ドライオンツリー」です。
名前の通り樹上にて完全乾燥するまで残したものを100%使用することがコンセプトです。樹上にて摘み取られる間際まで、たっぷりと栄養を吸収し、甘味を保持したままの状態で乾燥されます。樹上にて完全乾燥されることで、通常の天日乾燥を必要とせず、収穫後は直接ドライチェリーの状態で木製貯蔵庫(トゥーリャ)に保管されます。今シーズンの商品は45日間トゥーリャで寝かせています。つまり、樹上で乾燥し増された甘味は、貯蔵庫でドライチェリーのまま寝かせることで熟成されます。
フクダトミオ氏(写真左)と弊社社長秋本(写真右)
【オーナー フクダトミオ氏について】
オーナーのフクダトミオ氏は、従業員育成に大変熱心に取り組んでいます。勤勉なものしか雇わず、また、絶対にゴミを出さないなど綺麗な農園作りにも心掛けています。オーナー自らが常に農園に足を運び、木の状態を把握し、メンテナンス、管理を行っています。
使う人がいてこそ価値があると、生産量を増やすことだけを考えるのではなく、品質を重視し安定した味作りを心掛けています。フクダトミオ氏が丹精こめて作り上げたブラジル本来の味を忘れさせることのない甘味たっぷりで風味豊かな「ブラジル ドライオンツリー」を是非ともご堪能ください。
右の写真はフクダトミオ氏のご令嬢、リサからいただいたメッセージカードです。
【日本ブラジル移民100周年】
日本人のブラジルへの正式な移民は、1908年に神戸港を出港した笠戸丸に始まります。当時、土地が有り余るブラジルでは農業労働者が不足しており、また、日本の農村は貧しく、大日本帝国政府が海外への移民を奨励していました。1920年代まではアメリカが日本人移民の最大の受入国でしたが、アメリカ側が日本人移民の受け入れを実質禁止したこともあり、ブラジルが最大の日本移民受入国となりました。
日本人移住者の多くは、多くの移民船の最終目的地となったサントス港を外港とするブラジル最大の都市であるサンパウロ市周辺のコーヒー農園で働き、ブラジルにおけるコーヒー産業の発展に重大な役割をもたらしました。
【外務省日伯交流年認定事業372】